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使いやすさを大事に。ガラス作家 境田亜希さんのはなかげが生まれるまで(2)

「使いやすさ」を大事に

「はなかげ」シリーズを中心にガラス作品の制作に励む境田さん。「たくさん使ってもらえる作品を」というのが一番のこだわりで、カップ・器・花器・片口などは日常使いを想定した形やサイズを意識しているそう。

境田亜希のはなかげグラス

「使いやすい」というのは当たり前のことのようですが大事な要素ですよね。自宅にある食器棚を想像してみてください。「そういえば、なぜか手が伸びるんだよなぁ」と気づく、ある意味「特別」な器やカップってありませんか?そういうものって必ずしも、見た目が好みのもの・美しいものとは限らないと思うんです。でも確実に使いやすい。持った時のサイズ感や重量感、使っている時の安定感なんかがしっくりくる、その上見た目も好みのものって、実は見つけるのは簡単ではない気がします。だからこそ日常で使うものが、ただ使う以上に「特別」なものになったら、生活がより楽しくなりそうです。

どんなに使いやすさを追求してつくられたものでも、全ての人にとって使いやすいものになるわけではありません。ひとりひとりの手の大きさや用途、形や色の好みなどによって人それぞれ。だからこそ、「特別」に思えるものとの出会いは御縁ですね。

境田さんのように「使いやすさ」を大事にする作り手は、自分がつくりたいものと使い手が使いやすいものの間で悩みながらつくっているのではないかと想像しますが、両者が満足するものができたら素敵ですよね。境田さんが使い手を思ってつくる「はなかげ」は、そもそもどのようにして誕生したのでしょう?

シンタニ
「はなかげ」シリーズができたきっかけは、どんなふうだったんですか?

秋田のガラス作家 境田亜希さん
秋田市新屋ガラス工房にて

境田亜希さん(以下、境田)
作り始めたのは富山のガラス工房で働いていた時です。毎年違ったテーマが決められたガラスの展示イベントがあったんですけど、ある年のテーマが「ギフトの酒器展」だったんです。毎年お決まりの作品を出展することが続いていて、「またこの企画展かぁ・・・」とちょっと飽きてしまっていたので、「いい加減、同じようなものをなんとなくつくるのはもうやめよう、何か新しいことしよう」と思い立ったんです。それまで、モールド(型)を使って作品づくりをしたことがなかったので挑戦してみたら、「これだ!」って。

シンタニ
「はなかげ」シリーズができたきっかけは、ちょっとネガティブに思っていた毎年の企画展への出展だったんですね。

境田
これを作った時、自然とこの作品に名前を付けたいなと思ったんです。名前を付けたらそれをきっかけに「はなかげ」シリーズの作品がどんどんできて・・・。その感覚って初めてだったんですよ。それまでは「酒器」となったら盃と片口だけ作って完成、で満足していたんですけど、名前を付けることによってこのシリーズの中で「あれもつくりたい、これもつくりたい」と発展して、今では「はなかげ」シリーズが制作のメインになりました。

シンタニ
売りたいから作ったということではなくて、気持ちに正直につくっていたら自然の流れで「はなかげ」シリーズが生まれたんですね。はなかげというのは、お花のような影ができるというところから名付けたんですか。

境田
そうそう。光が当たった時に花のような影ができたのを見た時にその名前がぴったりかなと思って。

境田亜希 はなかげグラス

シンタニ
作品にできた影が名前の由来というのはおもしろいですよね。作品の特徴というよりは、作品を実際に使っていた時の気づきが由来ですね。名前がそのまま「影も楽しみながら使ってね」というメッセージになっていますね。

境田
今にして思えば、なんと素敵な名前を付けたんだろうって思いますよ。名前って本当に大事だなって感じます。

シンタニ
「はなかげ」ができるまでは作品やシリーズに名前を付けたことがなかったということなので、それだけこの「はなかげ」が特別な存在だったんでしょうね。

境田
今まで自分がつくっていたガラスとは違って、単純に「美しい!」と思ったし、「こんな綺麗なものには名前を付けないと」と思ったんですよね。同時に、やったことのないガラスの技法に挑戦してみて、自分自身の成長を感じることもできました。

しかもその頃に引越しをしたんですが、前の家よりも少し和のテイストが強い雰囲気の家だったんです。それで、洋よりはどちらかというと和の方に思いを寄せた作品作りに傾いていったんです。畳の部屋に合うものをと。自分のいる環境によって作品が変化していくのが分かりました。

シンタニ
「はなかげ」シリーズが和の要素が強い作品というのは意外ですね。そういえば玄関に飾ってあった「はなかげ」の花器、和の雰囲気の中にマッチしてましたもんね。

境田
そうなんです。多分、前に住んでいた家の写真、ありますよ。富山で引っ越した先の家で、納屋だったところをリノベーションしたお家なんですけど。

シンタニ
(写真を見る。)変わった感じのお宅ですね。写真ではちゃんちゃんこみたいなのを着てますか?

境田
そうなんです。畳にこたつですし、ちゃんちゃんこがぴったりでしょ。笑

境田さんの作品づくりの足跡

日常使いを意識した制作を心がけている境田さんですが、「はなかげ」をつくり始める前は、実は使うことよりも鑑賞することに重きをおいた作品を多くつくっていたそう。今となっては意外ですよね。そうなると、境田さんの作品の歴史に興味が湧いてきます。

境田
以前はザラザラした質感のものをよくつくっていました。ガラスの粉をふきかけた、テクスチャーが特徴的なものとか。今の作品とは全然違う。

シンタニ
技法も今とは違ったんですか?

境田
そう。例えばピンブローといって、ガラスの柔らかいところに穴を開けて空気を入れて膨らますという技法で小さな花器をつくって、さらに表面にガラスの粉をふきかけて。それをたくさん並べてオブジェにしたり。

シンタニ
小さな花器をたくさんつくって作品にしたなんて個性的!

境田
あと、心に残っている作品は、大学の卒業制作で作った茶碗ですね。父が亡くなった後につくったんですけど、その時のいろいろな気持ちを形にして残したい、心を整理したい、という思いでつくりました。この説明の文章も自分で書いたんです。

大学の卒業制作で作った茶碗のオブジェが掲載されたミニコミ誌みらーれ
ガラス茶碗が数百個並ぶ卒業制作作品「誰かの茶碗」

誰かの茶碗

日常だと思っていた食卓の風景。家族で食を囲むいつもの光景は変わることがないと考えていた。しかし、ある日突然、父の茶碗が一つ減ったことで、ふと実感した。「当然のことが当然のこととして成り立たない日が来るのだ」ということを。そして、私の家族の光景は誰かの、どこかの家族の風景であり、誰にでも当てはまる光景だと気がついた。もろく、はかなく危機的な茶碗の姿こそが、私が考える家族の風景だ。この作品は家族の「死」をきっかけに制作したもので、いつか突然、日常が日常ではなくなるという意味を込めたものだ。
奇しくも同時期、東日本大震災が起こり、私が住んでいた秋田でも地震の揺れ、停電等の被害が発生した。制作した「誰かの茶碗」は個人的な意味を込めたものだったが、あまりにも当時の空気感を含みすぎてしまい、発表する際、これでいいのかと悩んだこともあった。そして同時に、なんのために制作するのか、誰のために制作するのか、自分の中で答えが見つからなくなった時期でもあった。

私が生まれ育った秋田から、富山に移り住み約4年がたとうとしている。以前感じていた「誰のために・なんのために」という疑問や不安感は減り、現在は、過去の用途のない作品とは異なる「日常の器」を制作している。

私の日常の風景・光景は「日常の器」をつくりだすことへと変化した。器というものは、日常の生活に深く関わっており、誰かの記憶や情景に密接に影響している。だからこそ、今一度過去の気持ちを大切にし、自分がつくる「器」と向き合い、どこかの誰かの記憶や風景に刻みこまれる「日常の器」を制作していきたいと考えている。

境田
お茶碗がたくさん並んでいるんですが、実家の4個のお茶碗が型になっていて、私と姉と父と母の茶碗をシリコンで原型をとって、それの複製をつくって並べたんです。形は熱によって崩れていたり、完璧な形だったりと様々なんですが、いろんな複製を何百個と並べて。

シンタニ
大作ですね。そして、境田さんが書かれた作品の説明を読むと心を打たれます。

境田
富山のガラス工房にいた時代に「はなかげ」が生まれたので、それからまだ3〜4年ですけど、その前からの作品を見てみると、いろんなタイプの作品をつくってきたなぁと感じますね。自分の歴史を改めて振り返るのはおもしろいですね。つくるものは、自分ではあまり変わっていないと思っていたんですけど、この変化を客観的に見るのはおもしろいですし、懐かしいです。

シンタニ
日常で使う「はなかげ」シリーズしか知らなかった私としては、境田さんがアート作品のようなオブジェを中心につくっていらっしゃったというのは、すごく意外でした。昔作っていたタイプの作品はもうつくらないんですか。

境田
全く作らないですね。使われないものを作ることに意義を感じられなくなってしまって。見るだけだし、壊れやすいし・・・。

シンタニ
日常使いできるものにより意義を見出すようになってきたんですね。境田さんの過去の歴史を知った上で「はなかげ」シリーズを見ると、本当に興味深いですね。作品の変化の経緯を伺うと、「はなかげ」シリーズは「たくさん使って欲しい」という境田さんの願いが込められているんですね。

あくまでも使うことにこだわってガラス制作を行う境田さんの人生をほんの少し垣間見ることができたような気がします。ガラス制作の上での試行錯誤だけでなく、人生においてのいろいろなご経験があったうえでの「使いやすさ」にこだわった「はなかげ」時代に繋がっているんですね。

そういえば、富山に住んでいらした時、和のテイストが強いお部屋に引っ越したところから、そんなお部屋に合う作品づくりに傾いていった、というお話しがありました。自分が置かれている環境によって作品づくりにも影響があるようなのですが、今はお子さんが食器をつかんで投げたりすることもあるようで、作品の厚みが増してきているそうです。境田さんの人生と共に変化を遂げる作品づくり、境田さんのこれからが楽しみですね。

境田 亜希

3年間の会社勤務の後、秋田美術工芸短期大学(現在の秋田美術大学)に入学し、ガラスを専攻。卒業後は富山県で経験を積み、現在は秋田市の自宅を改築して設けた工房兼ギャラリーと新屋ガラス工房で制作活動を行う

@akisakaida – Instagram

記事で紹介した作り手の作品は下記の店舗で取り扱っています。

ガラス作家 境田亜希さんに会いに ~わたしがガラス作家を目指したきっかけ(1)

秋田のガラス作家 境田亜希さん

秋田市新屋ガラス工房にて

ガラス作家になったきっかけ

「アクロバティックなガラス制作は、手先が不器用なわたしに向いていると思ったから」

ガラス作家になるきっかけをそう語るのは、秋田県で主に日常で使えるガラス作品を制作する境田亜希さん。

 

 

境田さんは1982年生まれで秋田市出身。社会人として働きはじめるも「新たな挑戦をしなければ!」という衝動にかられ、3年間の会社勤務ののちに秋田美術工芸短期大学(現在の秋田美術大学)に入学しました。

在学中にガラスを生涯の友にすることを決意。卒業後はガラス工芸が盛んな富山県で経験を積み、結婚、出産を機に秋田へ戻りました。ご主人の熊谷峻さん(@shunkumagai_glass)もガラス作家です。

現在は1児の母として奮闘しつつ、日常で使えるガラス作品を中心に制作活動を行っています。

熊谷俊・境田亜希 工房兼ギャラリー

熊谷俊・境田亜希 工房兼ギャラリー(秋田市)

2019年6月、秋田市内の工房兼自宅にうかがいました。カエデが生い茂るお庭に広い玄関と昔なつかしい日本らしい佇まいの建物は、境田さんの祖父母が住んでいらしたお宅だそうです。

ご自宅をリノベーションしはじめてガラス制作のための工房とギャラリースペースができつつある、そんな楽しみなタイミングでの訪問となりました。

境田亜希のはなかげ花器とコデマリ

チャイムを鳴らして玄関に入ると、まず目に飛び込んできたのは玄関正面を飾る境田さんが作った花器とコデマリの花。

大きいサイズの花器って花束みたいにたくさんお花を生けないと・・・と、身構えてしまいがちですが、ひと枝のコデマリが境田さんの花器を引き立てていました。

それに一緒に飾られている茶器や敷いてある絨毯がなんともうまい具合にマッチしています。

ガラス制作を選んだ理由

こちらの工房とギャラリーはご主人の熊谷さんと共同で使っていて、インタビュー中には近くで作業をする熊谷さんもたびたび口をはさんでくださいました。笑

そんな和やかな雰囲気のなか、日常で使えるものの制作にこだわる境田さんにまずはガラス制作をはじめたきっかけを聞いてみると意外な答えがかえってきました。

秋田のガラス作家 境田亜希さん

秋田市新屋ガラス工房にて

境田亜希さん(以下、境田)
「なんとなく・・・だったんですよね。ものづくりのなかでガラスって唯一スポーツみたいな感じだったんですよ。美術大学に入ったときに3種類のものづくりを選ばなければならなかったんですが、陶芸と鋳金とガラスを選んだんです。制作のときって、ガラスは熱いし触れないし、常に動いていてアクロバティックじゃないですか。陶芸はゆっくり座りながらやるし、鋳金はアクロバティックな場面もありますがそこに至るまでの工程が長い。だから陶芸と鋳金は自分には向いていないかなと思ったんですよね。」

シンタニ
「その3つのなかからガラスが一番向いてる!と直感したんですね。」

境田
「向いていたかどうかはいまでもわからないんですが、一番楽しくできたんですよ。わたしが社会人を経て学生として大学に入学したとき、峻さん(ご主人)はすでに助手として働いていて。わたしすっごく不器用で。人に笑われながらつくっていて。(熊谷峻さんに向いて)ね?わたし不器用だよね?」

熊谷
「そうだね。笑」

シンタニ
「ご主人がすごく同意をしていらっしゃいますが(笑)。どういう意味の「不器用」ですか?」

境田
「細かい手作業とかが苦手で。サイズ感もあまりよく分からなかったり・・・。だけどガラスは重力と遠心力を利用してつくるので自分は少し支えるだけという気持ち。吹くのは自分だけど、それをきっかけにガラスが伸びていくのは加わった力が作用しているわけだし。だからわたしみたいに不器用でもできるかなって。」

シンタニ
「そういう見方もあるんですね。でも細かい作業は苦手な分野だったのに何かつくろう!と思ったんですね。苦手なことにあえて挑戦していくタイプですか?」

境田
「いやー、なんでですかね。笑」

秋田のガラス作家 境田亜希さん

秋田市新屋ガラス工房にて

自分を不器用という境田さん

人生何がきっかけでどんな世界に飛び込んでいくかわからないものですね。

「自分は少し支えるだけ」あくまでも自然体で、ガラスに意思はないけれど、あたかもガラスの気持ちを引き出すような、そんなガラス制作に対する姿勢が素敵だなと感じます。

境田さんの自然体でいようという気持ちのせいでしょうか、ガラス制作のことのみならず境田亜希さんという人ともっと知り合っていければうれしいな、という思いがふくらみます。

秋田のガラス作家 境田亜希さん

秋田市新屋ガラス工房にて

お会いするたびにいきいきと仕事されているなぁと感じますが、ガラス制作をされる前の社会人時代のことを聞いてみました。

シンタニ
「大学に入り直したのは何歳のときですか?」

境田
「社会人を3年やってからなので26歳くらいですかね。文章を書く仕事だったんですけどぜんぜん向いてなかった。」

シンタニ
「社会人としてまず仕事をやってみて、初めて「自分にはこれじゃない」という気持ちを発見したんでしょうか。」

境田
「その仕事をずっと続けていくとは思えなかったし、このままの人生ではないなぁって。小さいときから美術大学で学ぶことやものづくりという職業に憧れはあったんですけど、「わたしなんて才能ないからいいや、やめておこう」っていう感じで受験もせず、それがずっと心のなかに引っかかっていて。人生を書き換えるじゃないけど「いまからやり直そう!」って、挑戦しようって。」

シンタニ
「作り手の方って最初から作り手になる道すじをたどっているイメージがあります。例えば、絵画教室でデッサンを習い、美大を卒業して作り手へというような感じで。でも、境田さんのようにいちど社会人を経験されてそれから美大の学生になって作り手の道へと、実際に行動に移せることに憧れる人はたくさんいると思うんですよね。」

境田
「タイミングがよかったというのはあると思います。不思議ですよね。ふつうに入学した学生とは7年違ったのでけっこう必死で・・・。結果を残さないといけないプレッシャーはあるのに、それまで美術なんてやったこともないしデッサンもできないしわからないことだらけで。でも、入学したからには”何か”にならなければいけないととにかく必死でした。」

シンタニ
「わたしなんて・・・って思ってしまうタイプなのに行動に移したところが素晴らしいですね。いちど社会人になるとその立場を捨ててもいいのかって悩みますしね。」

境田
「しかも経験のない分野に飛び込むというのは、振り返るとすごいことをしましたよね。」

秋田のガラス作家 境田亜希さん

秋田市新屋ガラス工房にて

わたしも同じくらいの歳のとき似たようなことを考えていました。

そのときの職場にこのまま自分はいつづけるのだろうかと考えると、一生ではないというのは気持ちのうえでは決まっているんだけど、じゃあ自分には何があるんだろうっていうのがわからなくて・・・。

いま思えば、自分が一生続けられる、生きがいとしての仕事って何だろうという”もがき”だったと思うんです。

秋田のガラス作家 境田亜希さん

自宅工房兼ギャラリーにて

人によって、生活や人生における「仕事」の位置づけってさまざまだと思うんですが、わたしの場合は生きているあいだ、仕事で自分自身が「これはがんばった」って思える何かができたらな・・・という気持ちがありました。

大げさかもしれませんが、自分が何が好きなのか、何をしたいのか、それをひとつでも見つけられただけでその後の生き方が彩りのある意味のあるものになるんじゃないかと思うんです。

そういう意味で、仕事としてガラス制作を一生の生業にしようと決意できた境田さんは、わたしにとってはまぶしい存在で憧れますね。

(2)につづく

 

 

境田 亜希

3年間の会社勤務の後、秋田美術工芸短期大学(現在の秋田美術大学)に入学し、ガラスを専攻。卒業後は富山県で経験を積み、現在は秋田市の自宅を改築して設けた工房兼ギャラリーと新屋ガラス工房で制作活動を行う

@akisakaida – Instagram

 

 


記事で紹介した作り手の作品は下記の店舗で取り扱っています。