ししゅうつなぎの生まれる場所へ(3)
(2)のつづき
ししゅうつなぎができるまで
村田社長に「ししゅうつなぎ」が生まれた背景についてお話をうかがいました。
「一針千心」のものづくり
弊社は家族主体の企業ですので、生まれた時から刺繍業に携わっている人も多く、パートの従業員さんも親戚関係。気持ちも環境も刺繍に向いている人だけで仕事をしています。
企業理念である「一針千心」は、一針ひと針に真心を込めて、買っていただいたお客様に喜んでいただきたい、そういう顔を見たい、という思いから、品質にこだわったものづくりをしていく志を表しています。
創業当時は横振りミシンを使って着物や和装関係の服資材に、終戦後にはアメリカ兵に日本の土産品として人気のあったスカジャンに刺繍を行っておりました。
機械が発展し始めた頃からは、多頭式コンピューターミシンを導入して刺繍加工をしてまいりました。
刺繍のアクセサリーを作り始めたのは、2000年代の初頭に流行った刺繍のブレスレットの影響を受けたレース屋さんから依頼があったのがきっかけでした。
でも作るうちに、せっかくこれだけ自分たちに技術があるのだから、委託だけでなく自分たちのブランドとして世に出していきたいという思いがやはり湧いてまいりまして、そうして自社ブランドの刺繍ネックレスを制作するようになりました。
小枝をモチーフにしたアクセサリー
ししゅうつなぎは、2019年の9月頃から企画がスタートして、半年ほどの制作期間で完成しました。
その間、デザイナーの秋山かおりさんとのやり取りはもう何度あったのか、わからないほどです。
秋山さんが子供の頃に道ばたで拾った小枝をネックレスにしたことを思い出して最初に完成したのが、ブラウンが主体の「小枝」です。
そのあとに「小花」と「小雪」。
そのほかに金、銀、銅の3種類は、アクセサリーらしい光沢のあるものも作りたくて作りました。
作業工程は、デザインをコンピューターミシンに読み込み、オリジナルの溶ける紙に刺繍をしたら、洗いにかけ土台の紙を全部溶かし刺繍だけを残します。
その後、刺繍を成形しながら乾かします。
最後にパーツひとつひとつを検品してから、手作業で繋げていきます。
機械というと、機械が全てやってくれると思ってしまうかもしれませんが、多数ある工程の中でも人が介入する場面は多く、またそうでないといいものは作れないと考えています。
繋ぎ目は、ししゅうつなぎの命となるところ。
ひとつひとつのパーツをお客様自身で自由に組み合わせができる構造、ということは、誰でも取り外しやすく、しかも外れにくい、を両立させるということで、そこが制作過程において一番難しかった部分ですね。
自由に楽しく、使っていただく
本当に面白い形なんですよね。
ひとつのパーツに丸い穴が3つ空いているんですけれど、決まった一か所だけに通すわけじゃないから、繋ぎ方しだいでその人だけの形を作ることができる。
ししゅうつなぎのメリットは、金属アレルギーの方でも気兼ねなく身に付けていただけるところ。
それから「重たいネックレスをすると肩こりしてしまうけれど、これはものすごく軽いんです。」というお声もよく頂戴します。
しかも、汚れても洗うことができるんです。
お客様から私たちが予想していなかったような「こういう使い方をしたら面白かったよ。」なんていうお声が聞けたら、余計に楽しく嬉しいですね。
村田刺繍所
渡良瀬川が流れ赤城山を望む群馬県桐生市にある、1955年創業の老舗刺繍所。
技術力の必要なレース調の刺繍などを得意とする。
高品質で繊細な刺繍加工は婦人服、紳士服、子供服、及びワッペンやユニフォーム、日用品、小物、雑貨など多岐にわたる。
https://embland.com
村田刺繍所のすぐ近くを流れる渡良瀬川。
山の稜線、広く澄んだ空。
ししゅうつなぎの生まれる土地の空気を身体で感じて、帰路につく前の深呼吸。
村田刺繍所さん、貴重なお話をありがとうございました。
記事で紹介した商品『ししゅうつなぎ』は下記の店舗で取り扱っています。
ししゅうつなぎの生まれる場所へ(2)
(1)のつづき
村田刺繍所で刺繍のものづくりを見学しました
ししゅうつなぎは桐生市内にある村田刺繍所の刺繍工場で作られています。
可愛らしいクローバーのイラスト入りの看板が村田刺繍所の目印。
今回は特別に工場内を案内していただきました。
工場に入るとまずすぐに目に入るのが、壁一面に並んだ刺繍糸の箱。
300種類以上の刺繍糸が床から天井まで積み上がっています。
桐生刺繍といえば『横振りミシン』
桐生刺繍の代名詞でもある横振りミシンは、使いこなせるようになるまでに10年は確実にかかると言われるほど、高い技術が求められます。
ですが、すでに生産は終了してしまい「現在残る横振りミシン職人は10人もいないのではないか。」とのことです。
村田刺繍所でも創業当時はこの横振りミシンを着物の刺繍に、また戦後にはスカジャンの刺繍などにも使用していました。
工場の中で大切に受け継がれ、もちろん、いまも使用することができます。
巨大な多頭式ミシンに圧倒される
工場の中心で存在感のある、写真に収まりきらないほど長く大きい機械。
多頭式コンピューターミシンです。
こんなに巨大なミシンを見るのは初めて!
多頭式コンピューターミシンは複数のミシンヘッドをコンピューター制御しているので、同じ柄を一度に効率よく、多く生産することが可能です。
機械の均一で正確な作業による仕上がりは高品質で、立体的な帽子やカバンにもスムーズに刺繍を施せます。
その動き方は自由自在。
同時進行でスパンコールを縫い付けることもできるのだそう。
家庭用ミシンとは全くの別物です。
引用:桐生商工会議所 YouTubeより
どのように縫い、どう表現するのかというデザインを起こすのに必要な知識や技術に加え、豊富な経験値も求められる刺繍加工。
美しい刺繍作品を生むための道具として高機能なミシンを扱うことで、複雑かつ繊細な作品が完成されているのだと知りました。
(3)へつづく…
記事で紹介した商品『ししゅうつなぎ』は下記の店舗で取り扱っています。
ししゅうつなぎの生まれる場所へ(1)
刺繍の歴史が刻まれる桐生へ
桐生市は群馬県の東側、栃木県との県境に位置しています。
この日は天気の話が盛り上がるほどうれしい快晴。
気持ちよく澄んだ空のなかに見える赤城山にどんどん近づいていきます。
高速を降りて桐生市に入るとさっそく繊維業の会社の看板がちらほら。
さすが「繊維のまち」ですね。
当店のある千葉県印西市からは車で2時間30分ほどで到着です。
街のなかを進み、まずは桐生市の織物の歴史を知るところから。
最初の目的地、桐生織物記念館におじゃまします。
桐生の織物の歴史を学ぶ
1934年に建てられた桐生織物記念館は、青緑の瓦ぶき屋根の大きく立派な建物で、2階には小ぶりのステンドグラスもあり、まるで異国の洋館のよう。
国の登録有形文化財にも指定されています。
入り口を入ってすぐのところには、見上げて首が痛くなるほど巨大なジャカード織機(しょっき)が設置されています。
2階へ昇る広い階段の低めに作られた手すりに、見た目は洋館のようでも日本の建築なのだと実感します。
2階の目の前には組合事務所。今も昔も桐生の繊維業の拠点なのですね。
右に進むと常設の織物展示室があります。
書棚には、昭和30年頃から保存されたテキスタイルをまとめた資料がびっしり。
貴重な資料ですが、なんと素手で直接触って全てが見られます。
当時の実物のテキスタイルがページごとに貼られており、質感まで体感できます。
ページをめくれば「これも素敵、こっちも素敵!」ちゃんと見始めてしまったら一日あっても足りないかも。
織物の展示だけでなく、蚕からどのように糸を紡ぐのかなどを詳しく知ることもできます。
昔ながらの機織りを体験
せっかくなので、機織り体験もさせていただきました。
専門用語の説明を受け、手取り足取り丁寧に織り方を教えてくださいます。
織る時のガシャンガシャンという音は、耳に心地良いですね。
体験用の織り機の隣に数台、かつて桐生で使われていた織り機が並んでいます。
織り機が新しくなるにつれて、素人でもわかるくらいパーツが少なくなり、自動の部分が増えていく過程を見ることができます。
桐生の歴史ある織物文化を象徴するモダンな建物のなかで、デジタルのない時代とは思えない絵画のように美しいジャカード織の多様な作品などを目にすることができました。
桐生はのこぎり屋根の街
桐生織物記念館を後にして、桐生の街を散策。
桐生の住宅街の中はどこも細い道で、どこか懐かしい低めの建物が並びます。
街の中を散策すると、のこぎりの刃のような尖った三角屋根がぎざぎざと連なる形状の屋根を持つ建物にちょくちょく出会います。
桐生名物ののこぎり屋根の風景です。
かつては工場だった建物が、のこぎり屋根を残したまま、現在はワインセラーやベーカリーカフェになっていたりもします。
「赤城山の向こう側は雪が降るけれど、この辺は雪よりからっ風」
桐生の街並みに欠かせないのこぎり屋根は、雪の積もらない地域だからこその形でもありました。
続いて、伝統の刺繍技術を見学をしに村田刺繍所さんへ
(2)へつづく…
記事で紹介した商品『ししゅうつなぎ』は下記の店舗で取り扱っています。